2年前の3月11日。
出張中の横浜であの地震に遭遇した。
同僚と横浜スタジアム付近を歩いていると、急にグラリと足元が揺らいだ気がした。
あれ?わたし貧血起こしたのかしら?
とか思っていたら、なんと周囲のビルがグラグラ揺れていた。
あんなに大きな地震は、生まれて初めてだった。
一緒にいた同僚と抱き合った。
周囲のビルからたくさんの人が出てきていた。
建物から離れて!と声がしていた。
電車が止まってしまったので、関内から荷物を預けていた桜木町まで歩いた。
その途中、何度も揺れて揺れて、古いビルがナナメになっていてヒビが入っていて
倒壊してくるのではという恐怖。
こわかったけど、とりあえず歩くしかなかった。
その後、桜木町のホテルで荷物を受け取った時、初めてTVニュースを見た。
とんでもない事が起きている事を知った。
本当に本当にとんでもない事が起きていた。
多少なりとも自分も巻き込まれてしまっているその事が、現実なのか夢なのかわからないけど、その場で止まるわけにはいかなかった。
知らない場所にいる事がこわかった。
早く安心できるところに行きたかった。
とりあえず福岡に帰りたかった。
羽田空港までたどり着きたかったけど、バスも電車も動いていなかった。
タクシーも来る気配がなかった。
とりあえず横浜まで行ったら何とかなるかもしれない。
私たちは重たい荷物を引きずって桜木町から横浜まで歩いた。
寒かった。
道路は渋滞していた。パトカーがたくさんいた。
バスは全く来なかった。
歩き途中、出会うタクシーは全て乗車拒否された。
歩くしかなかった。
時々大きな揺れがあり、途中の道路は地割れを起こしていた。
でも歩くしかなかった。
横浜駅にはたくさんの人が溢れていた。
駅のコンビニに行ってみると、水と食料を求めている人たちでいっぱいだった。
棚の商品の殆どがなくなってしまい、閉店間近になっていたコンビニで、なんとか飲み物ととおかしを手に入れた。
ビールを買う余裕なんて、なかった。
連絡手段はTwitterとかmixiしかなかった。
オットとの連絡もTwitterでとるしかなかった。
TLに流れてくる情報が本当なのかウソなのかよくわからなかった。
私の不安な呟きに対して、全く知らないフォロワーさん達が励ましてくれた。
フォロワーさん達が色んな情報をDMで送ってくれた。
交通手段が止まってしまっていたから、横浜から動く事が出来なくなってしまった。
羽田空港まで行く事も不可能だったから、駅に留まるしかなかった。
しかし駅も閉めるらしく、いつまでも駅内に留まる事はできなかった。
パシフィコへ避難をしてください、と館内放送が流れてきていた。
パシフィコ、昨日までそこで仕事してたところ。
寒い中、そんなところまで歩く気になれなかった。
そしてなによりも。
数時間前、桜木町のホテルであの映像を見てしまったから、海の近くに行くのがこわかった。
横浜在住のマイミクさんが連絡をくれ、クルマで駅まで向かってあげるよと言っていただいた。
しかし道路は渋滞し携帯は全く繋がらない。
マイミクさんといつ会えるのかもわからなかった。
結局会えなかった…。
本当に寒かった。
YCAT付近で留まる私たち。
iPhoneの充電もPCの充電も心もとなくなっているのだけれども、駅のコンセントで充電をしようとすると注意をされた。
同僚のPCメールで、会社の先輩が近くのホテルに避難している事を知った。
とてもとても心細かった私たちは、そのホテルに向かった。
駅から追い出されそうになっていた私たち。
もうそこには留まれなかった。
ホテルのロビーは帰宅難民の人たちで溢れていた。
本当は私たちも11日の夕方に福岡に帰る予定だったのだから、そういや我々も帰宅難民だった。
会社の後輩が、福岡のアシスタントさんに手配してもらっていたホテルを譲ってくれた。
譲ってくれた彼は、友人宅に泊めてもらうという。
譲ってもらったホテルに行きたいのだけど、行く手段がない。
横浜から武蔵小杉。。。。
でも私たちはラッキーだった。
わりと早く動き出したのが東横線だった。
動き出した電車に乗り、私たちはホテルに行く事が出来た。
あの日、ホテルに行けたのはたぶん私たちだけだったと思う。
本当にラッキーだった。
TVはずっとつけっぱなしだった。
一晩中、緊急地震速報が流れていた。
一晩中、津波の映像と緊急地震速報が流れていた。
快適なホテルの部屋。
シャワーを浴び、暖かい部屋で、ふかふかのベッドに寝ているのに、一睡も出来なかった。
翌日。
福岡のアシスタントさんが手配をしてくれた飛行機乗って、私は福岡に帰れた。
私は無事に帰る事ができた。
その後しばらく。
ふと気がつくと涙が溢れている自分がいた。
緊急地震速報もダメだった。
私なんて被災者でもなんでもないのに。
すぐに福岡に帰り着いて、普通の暮らしができているのに。
被災されている方達に申し訳ないという気持ちでいっぱいで、本当に苦しかった。
いまでも帰れない人たちがたくさんいる。
帰りたくても帰れない状況の方々がたくさんいる。
仕事とか生活とか、不平不満はあるけれど、平凡に暮らせる事がこんなにも大切でいとおしいとは。
私はそういう事も知らなかった。
はやくはやく。
東北の方が、福島の方が、平凡な暮らしに戻りますように。